奈良市の西大寺の僧侶らが、約780年前の古式にのっとり、神前に茶を供える献茶式が営まれました。
15日午後2時、西大寺を出た僧侶が八幡神社に向かいます。西大寺では、約780年前の鎌倉時代に、叡尊上人が貴重な薬とされていた茶を八幡神社に供え、その残りを村人に振る舞ったという言い伝えにちなんで、大きな茶碗で茶をいただく「大茶盛」がこの時期の恒例になっています。しかし、今年は新型コロナウイルスの感染予防のため中止になり、代わりに約150年ぶりに「献茶式」が営まれることになりました。厳粛な雰囲気の中、僧侶らは神前で経を読み、茶をたてまつりました。
2021-01-16 09:53:28
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お歳暮とは文字通り年の暮れのことを意味します。昔は、歳暮の礼といって新年に先祖の霊を迎えるために必要な供物を、嫁いだり分家した人が本家や親元に持って行く行事でした。
その後、日ごろお世話になっている人に感謝するなど、歳暮まわりと呼ばれる年中行事が行われるようになり、それが転じて、今日ではお世話になった人に一年の感謝の気持ちを込めて年末に贈る、贈り物を指す言葉となったのです。
お歳暮に贈るものは、もともとは祖先の魂にささげる供物でしたが、やがて生きている祖先である両親への贈りものという習慣に変化し、やがてはお世話になった人への贈りものとなっていきました。
このような習慣が一般化したのは江戸時代になってからといわれます。
江戸時代には掛け売りがほとんどで、盆と暮れに決済を行うのが習わしになっていましたが、暮れの一回決済という場合もありました。そのため、一年間の親交を感謝する意味から、得意先や親せき、知人、お世話になった人などには、贈答を盛んに行っていたようです。
お歳暮には水引やのしをかけます。水引は一見、無駄に見えるようですが、日本には古代から魂を結びいれるという結びの信仰がありました。結ぶことによって魂が宿り、これをつけて贈られたものは単なる物品ではなくなるのです。

お歳暮にお茶を贈る習慣は、実は一般にお歳暮が習慣化されるよりはるか前に確立していた!?
お茶はもともと、僧侶が修行の時に好んで飲んでいたもので、寺院の敷地で栽培されていたものも多かった。正月にお茶を飲む習慣が出来たのは、天暦5年(951)、京都・六波羅蜜寺の空也上人が、都に蔓延する悪疫退散を願い、自ら刻んだ十一面観音像を車に安置して市中を引き歩きました。その際、仏前に献じた小梅干と結び昆布を入れた薬茶を病人に授けながら、念仏を唱えたところ、ついに悪疫は退散。これにあやかろうと、時の村上天皇が元旦に服されるようになり、(天皇が服する茶)皇服茶(王服茶)の名がつきました。庶民にとっては幸福をもたらすことから、「大福」の文字が当てられ、縁起の良いお茶として、お正月に飲まれるようになったのです。

以来、元旦にお茶を飲むという習慣が出来たので、当時は12月に檀家さんが寺に茶を納めるという風習があったそうです。一説によるとこれがお歳暮の起源という説もございます。

ですから、良い元旦を迎えていただくために、お茶をお歳暮に贈るという習慣になったと言われます。お歳暮が習慣化されるはるか前から、12月にはお茶を贈るということが習慣化されていたようです。
ここにもしきたりがあり、目下のものが目上のものに贈るというルールがあったそうですが、現在ではあまり気にされてないようです。
2011-11-09 14:42:00
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