ビジネスパーソンのあいだで「お茶」を飲むだけでなく、学ぶ人が増えている。「なかでも紅茶は世界共通の歴史、アート、マナーなどが身につく“とっておきの教養”」と述べるのは、25年間にわたる「紅茶留学」を経て、日本有数のティースペシャリストとして活躍する藤枝理子氏。その理由は何か。本稿では、ビジネスパーソンが知っておくべき紅茶の魅力について解説する(本稿は、『仕事と人生に効く教養としての紅茶』より抜粋・編集を加えたものです)。
シリコンバレーでも注目の「物質的な効用」
近年、世界のエリート頭脳が結集するシリコンバレーでは、禅や茶といった日本趣味がムーブメントとなっています。アップルやグーグルの社員は、朝、オフィスの瞑想室でマインドフルネスを行った後、コーヒーではなく緑茶を片手にデスクにつき、仕事を始める。そんなスタイルが定着し、今や日本に逆輸入されるという現象が起きています。
21世紀の初頭あたりまで、アメリカ人が好む茶といえば甘みの強いスイートテイストが定番でした。それがここ数年、食のトレンド発信地でもあるシリコンバレーで無糖の緑茶が飲まれるようになったことで全土へと広がりをみせ、いまやアメリカは日本の緑茶輸出先第1位となっています。
シリコンバレーで注目されているのが、先述したお茶の持つ「物質的な効能」です。ティーファミリーの紅茶・緑茶・烏龍茶。それぞれ製法によって成分の違いが出てくるものの、基本的な成分として挙げられるのが、テアニン(旨味成分)、カテキン(渋み成分)、カフェイン(苦味成分)の3本柱です。
「茶は末代養生の仙薬なり」
日本の茶祖・栄西禅師が示したように、お茶は古来万能薬として広がりました。
イギリスで初めて茶の販売をしたロンドンのコーヒーハウス「ギャラウェイ」では「待望の東洋の神秘薬である茶が初上陸!」と大々的に広告を打ち出し、宣伝ポスターには「頭痛、目眩、腹痛、消化不良、下痢などの症状回復から虫歯、肥満、視力低下の予防まで効果を発揮」と20にも及ぶ薬効をずらりと並べ、たちまちジェントルマンたちのパワードリンクとして人気となりました。
ビジネスパーソンが身につけたい礼儀作法のことを、日本では「ビジネスマナー」といいますが、これは和製英語。国際社会では「ビジネスエチケット」と表記します。「ビジネスエチケット」という概念が生まれたのは17世紀、世界初のグローバルカンパニー東インド会社が誕生した頃です。
イギリス東インド会社で株式システムが登場した際、出資者を募るブローカーたちは、「マナーが悪い」という理由で王立取引所への立ち入りが許されず、近隣にあったコーヒーハウスに集まるようになりました。
投機熱の高まりとともに、一攫千金を狙う貴族から闇の相場師まで、さまざまな階級の人々が入り乱れるようになり、不正行為やトラブルも日常茶飯事というカオス状態に陥っていきます。そんな中、貴族から次々と取引を依頼されるブローカーがいました。それは、「教養」を身につけた人です。
ビジネスと教養
ここでいう教養は「カルチャー(Culture)」のこと。日本ではカルチャー=文化と捉えることが多いのですが、語源は「耕す」に由来し、「教養」や「洗練」を意味しています。つまり、投資の知識はもちろんのこと、洗練された身だしなみや作法といった「ジェントルマン文化としての教養」を高めた人がビジネスチャンスをつかんでいったのです。
これは、出資する貴族の立場に立ってみると当然のことでした。階級が違うとはいえ、相手に不快感や不安を与える「教養が足りない人(Uncultured Person)」に大金を預けるわけにはいきません。積極的に教養や知識を身につけ、品格を高めようとする人間性を評価したのです。
日本でも、利休はじめ安土桃山時代の商人たちは、教養や品位を身につけるために茶の湯を学んだといいます。同じように、英国のビジネスパーソンたちも、階級の高い貴族を相手に交渉のテーブルにつけるよう、コーヒーハウスで貴族趣味のお茶を嗜み、知識やマナーを身につけ、品性を磨いていったのです。
そこから、ビジネスをするうえで、ルールを遵守し、良識ある行動秩序というものが求められるようになっていきました。エチケットは、まさにビジネスパーソンとして信頼を得るための「チケット」になっていったわけです。
コーヒーハウスはのちに、世界経済の中核を担うロンドン証券取引所へと発展しました。今もなお、日本のエリートと呼ばれるビジネスパーソンたちが、教養として茶道を嗜むように、イギリスのエグゼクティブ層は、アフタヌーンティーを嗜み、カルチャーを身につけます。
茶道とアフタヌーンティー。どちらにも共通しているのは、茶を学ぶことで、自国の文化、歴史、芸術に触れると同時に、己の品性を磨き高め、奥深い教養を備える、いわば人格形成につながるという点です。
ニューノーマル時代の「大人の趣味」
「アートは美術館の中だけにあるものではなく、普段の生活の中にこそ見いだすもの」
そのような考えが、ヨーロッパの人々の根底に存在します。
人生を愉しみ尽くすのがアートの本質の1つだとすれば、日々の中で愛(いつ)くしむ「大人の趣味」として、アフタヌーンティーは年齢や性別を超えて広く親しまれるアートの条件を満たしているのです。日本の茶道に置き換えてみると、イメージしやすいかもしれません。
総合芸術である「日本の茶道」と生活芸術である「英国のアフタヌーンティー」。一見対極にあるように見えるこの2つですが、実は非常によく似ています。それもそのはず、イギリスのアフタヌーンティーは日本の「茶」や神秘的な儀式である「茶の湯」への憧憬からはじまったもので、いわば「英国流の茶道」だからです。
暮らしのアートは、生活にリズムを、そして心に潤いを与えてくれます。まずは日常が変わります。はじめは小さな興味でも、茶葉、道具、器へと次第に視野が広がります。それぞれが奥深い分野であり、学びを深めるごとに知的好奇心が満たされ、いくつになっても成長を感じることができます。
私自身、紅茶をライフワークにしたいと学びはじめてから、すでに30年以上経ちます。趣味でも仕事でもありますが、興味はとどまるところを知らず、いまだに新しい知識との出会いがあったり、知らない世界を開拓したりと新鮮な発見の連続です。日常だけではなく、非日常のシーンにも変化があります。
紅茶は世界共通のコミュニケーションツール
その1つが、旅行です。
日本でも海外でも、出かけた先で目に映る情報の量が断然変わります。興味がないとまったく目に入らないものが次々と見えてくるようになり、あれも見てみたい、これも見てみたい!とテーマが広がることで、旅の質も変わります。
陶磁器に興味を持ちはじめ、ドイツの工房を訪ねて職人さんと話をしているうちに、絵付け留学をすることになった女性。アンティークに目覚め、イギリス中のフェアをまわっているうちに、これを第2の人生にしようと、小さなアンティークショップをはじめたご夫婦。趣味の域では収まらず、人生を変えるきっかけと出会うこともあります。
紅茶は世界共通のコミュニケーションツールでもあるので、茶の輪を広げることもできます。趣味を通して出会う仲間は、仕事の仲間とは、ひと味もふた味も違います。新しい価値観や気づきを得ることは、刺激にもなり視野も広がります。また、趣味からセカンドキャリアの芽が出たり、リタイア後の充実したライフワークになることも考えられます。
一杯のお茶がもたらしてくれる大人の趣味は、人生を彩るエッセンスになります。日本茶に触れることで日本人としての美意識を磨き、紅茶に触れることで国際人としての感性を養うことができれば、人生はより愉しく豊かなものになるでしょう。